100年の歩み| 100年の歩み39官などに言うのですが、技官その者がよくわからないところがかなりあるわけです。古い話ですが、私が右田病院に勤務し始めたころは大腿骨の骨折の折、ギブスをずっと下まで巻いたときと、手術をしてそのときギブスを巻いた点数がわずか10点の差、つまり手術料がたったの10点ということで、こんな矛盾はない。臨床整形外科医会で一席ぶったところ、ある先生が『こんなことでは整形外科はやっていけなくなる』と。それから大学教授たちが集まって相談するようになり、かなり点数が改正されたことがございます。学会の教授たちが厚生省(当時)に掛け合うと割合スムースに点数の改正などができるように思われます。医師会があまり喧嘩腰でやるとかえって反感を買う傾向があるようです。余計な話ですけど。」(要約) 医療の価格は、その時代時代に提供側と支払い側で紛糾してきたようですが、高度経済成長期においても、人件費や物価の高騰に医療費が追いつかず、病院の経営は決して楽ではなかったことがうかがえる逸話です。全身CTを導入地域医療の充実を目指して 1980(昭和55)年になると、 八王子市は館町に東京医科大学八王子医療センターを誘致。翌年には第三次救急救命センターに指定されています。それまで八王子市の救急を一手に引き受けていた右田病院は、第二次救急の病院になりました。しかし24時間体制で救急患者を受け入れ、運び込まれる患者さんの数は変わりません。休日夜間の当番病院の日になると、ひと晩に7人もの患者が運び込まれ緊急入院となったこともありました。当番病院の日の夜勤職員は、そうした忙しさを覚悟してはいますが、緊張の度合いも大きいものでした。 このころ院長以下、常勤の医師、非常勤の医師たちも合わせて30数名の人材を揃え、医療設備においても当時の最新の装置を備えていました。新しい装置の導入時期には新聞に、「(右田病院は)設備も1台1億数千万もするコンピュータ・トモグラフィー=コンピュータ頭部顎部撮影装置、数千万の三層X線最高電圧装置など、多くの最新装置を備え、今や都内の大学病院に比べて勝るとも劣らない内容の充実ぶりである」と紹介されました。CTはまだ一般の病院での導入事例も少ない中、交通事故時の頭部外傷の検査にも役立つと導入したのです。さらに1985(昭和60)年には、全身CTを導入しました。救急指定病院として都知事から表彰 1982(昭和57)年、厚生省(現在の厚生労働省)によって9月9日が「救急の日」に定められました。広く救急医療の理解と認識を深めてもらうことを目的にしています。 右田病院はこの日、救急指定病院として東京都知事から三多摩地区では唯一表彰を受けました。戦前から多くの患者さんを診てきて、戦後、まだ八王子市内の病院が復旧しない状況のころから、ケガ人や急病人の治療にあたり受け入れてきたこと、それを継続してきたことを認めていただいたうえでの表彰でした。1985(昭和60)年に導入した全身CT玄関部分もリニューアルし明るい雰囲気に
元のページ ../index.html#24