100年の歩み100年の歩み |40 高校を卒業後、右田病院で看護補助者として働きながら、准看護学院に通いました。私の母が「これからの女性は手に職を持ち一人でも生きていけるようにしなければならない」という考えの持ち主で、また母も右田病院の手術室で看護補助者として何年か仕事をしていたという縁もあり、右田病院へお世話になりました。 准看護学院は右田病院から八王子市へ移管された後だったので「八王子市立准看護学院」でしたが、場所は以前のまま、右田病院の敷地内にありました。(1979/昭和54年12月に館町に移転) 北は秋田、南は沖縄と生徒は全国から集まっていました。皆、午前中は市内の就職先の病院で働き、午後勉強をする。卒業後は働いていた病院で、今度は准看護婦として働くわけです。右田病院からは私を含め7~8人が学んでいました。専門科目では、右田病院の看護部長が外科看護について講義をされていたり、松本樺太院長の講義もありました。院長先生は必ず右田病院からきている生徒、いわゆる“右田の子”に質問するんです。ですから私たちも院長の講義のときは気を抜けません。 当時、右田病院の看護婦は30人くらいいたと思います。八王子の准看護学院を出ている方が多く、私が入職したころの看護主任・星野良子さんは、八王子准看護学院第1期生でした。もちろん看護婦さんもいましたが、長い期間、右田病院の看護は准看護学院を卒業した多くの准看護婦によって支えられていたのです。コラム准看護学院の思い出内田百合子(看護部長)
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