右田病院100周年記念誌
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100年の歩み| 100年の歩み41右田徹、第3代院長に就任~経営環境の変化を受けて~興根昇の三男・徹父親の創設した病院へ 1985(昭和60)年、院長の松本樺太は、50年もの長きにわたる地域医療貢献が認められ、勲五等双光旭日章を受章しました。同じ年、80歳になった院長を補佐すべく、初代院長右田興根昇の三男・右田徹が副院長として右田病院へ入ります。 徹は以前から、右田病院の理事として理事会に出席し、東京警察病院に勤務しながらも非常勤で診療を手伝うことがありました。弟である理事長の右田佐から病院へ戻るようにいわれていたのですが、退職するまで数年の時間が必要だったのです。 幼い頃から父や叔父たちが病院で働く姿を身近に見てきた徹は、診療を終えた患者さんや家族が笑顔で「ありがとうございます」と言う姿を見て、医者は人から感謝される仕事だと思っていました。なので医学部に進み、医者になることには何の疑問も持たなかったのです。大学を出ても、右田病院には実兄もいましたし、有能な医師がたくさんいるので、自分の道を歩んでいました。しかし、兄たちも右田病院を離れて独立したため、いずれは院長の職が回ってくるかもしれないという思いは、長い間持っていました。 副院長として1年間過ごした1986(昭和61)年4月に、樺太院長が逝去。徹は右田病院の第3代院長に就任します。 前年に成立した第一次医療法改正がこの年施行されました。まさに医療制度改革の幕開けと、時を同じくして、その重責に就いたのです。医師としての歩み  右田徹は、1956(昭和31)年に東京大学医学部を卒業後、東京大学医学部附属病院第二内科に入職します。働き始めて4年目に東北大学医学部名誉教授武藤完雄(1972年逝去)の三女・惠子と1960(昭和35)年4月に結婚。初代興根昇の出身校でもある東北大学医学部と右田病院は、古くから医師を派遣してもらう間柄で、この結婚も東北大学の医局から派遣されていた佐々木敏夫先生の紹介でした。 結婚して3年目の1963(昭和38)年、勤務先勲五等双光旭日章受章を祝う会にて松本樺太院長の挨拶

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