右田病院100周年記念誌
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100年の歩み100年の歩み |48当時の右田病院の建物も、一番古い増改築部分で築50年を超えていたので、理事や評議員からの賛同が得られ、新病院の建て替え計画がスタートしたのです。しかし課題は山積みでした。まずは建設用地です。当初は、旧病院(本町)の隣にある土地を利用して設計を進めていましたが、あまりにも手狭でした。その後病院から1kmほど郊外へ出た(現在の)暁町の土地を紹介されました。後背地人口の事情や八王子駅から徒歩圏内を外れるので、決定には悩みましたが、それでも耐震化を優先すべきとの判断がありました。 さらに、金融機関との交渉も難航しました。複数の金融機関との交渉ののち、ようやく山梨中央銀行の承認が得られたことは、本当にありがたいことでした。先の緊急耐震化の補助金についても承認に時間を要しました。長年の欠損金経営で、事業計画に対する東京都の承認までに、おおよそ2年もの歳月を要したのです。最終的には銀行からの融資決定が決め手となり、紆余曲折の末に事業の承認を得ることができました。予算に限りがある中での建設なので、院内装飾に多くの費用はかけられません。それでも、一級建築士の土屋隆先生のご理解で、内外装のイメージだけは来院された方が落ち着けるよう、家庭的で和風のイメージにこだわりました。外装もブラウンとベージュの柔らかい感覚。内装は焦げ茶色の柱と梁に、壁は漆喰の白さを意識しました。患者さん、職員、いろいろなところに視点を置いて動線をプランニングし、安全面、感染対策面、労働環境、療養環境に配慮しながらできうる限り最善の病院作りを目指したのです。計画を進めていた2011(平成23)年3月11日、未曾有の被害をもたらした東日本大震災が起こります。八王子市も震度5弱の揺れでした。市内では大きな被害はありませんでしたが、新病院の建設を1日でも早くと願う気持ちはますます強くなります。震災直後の入札では、施工業者が大成建設に決定。同年6月から着工しました。院内体制強化と施設在宅診療への展開 新病院開院を控え、2012(平成24)年から人員体制の充実を図ります。救急体制の強化のために、常勤医師を4名から10名に増員、看護師は10:1、入院基本料(現・入院基本料4)の安定的充足、救急外来と手術室は独立運営、リハビリスタッフは200%の増員等を実施します。そして、介護付き有料老人ホームへの在宅診療を開始します。二次救急医療の機能は、施設内での急変対応に役立てるため、小澤昌樹事務長が施設在宅診療への道筋作りに貢献します。許可病床82床の右田病院にとって、救急体制維持のための人員体制は人件費負担が大きいため、在宅診療での収益は大きな相乗効果を発揮するわけです。新病院完成、暁町へ移転2012(平成24)年9月に、右田病院は暁町に新築移転します。新病院には、右田病院の原点である救急医療を充実させようと「救急急病センター」が設置されました。24時間、断らない救急医療機関として、二次救急の「簡易版ER」への志の現れです。竣工記念式典で右田隆之院長は次のように語りました。「高齢化が進む中、中小病院の役割はますます高まります。まずは患者さんを受け入れるこ旧病院は外科と整形外科の手術を同部屋係列で行っていた新病院の無菌手術室

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