右田病院100周年記念誌
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| 対談51医師になるという選択――小さい頃のお二人はどんな感じでしたか。理事長 2歳違いですが仲は悪くはなかった、と思います(笑)。院 長 よく一緒に遊んでましたね。まあ一方的にやられた思い出もありますが。――医者になろうと思っていましたか?院 長 兄は、小さい頃から「医者にはならないから」と言っていましたね。理事長 そう、医者になる気はまったくなかった。普通は長男だから医者を目指せとか言われそうですが、そういった圧力は親からも親戚からも掛けられなかった。自由に育てられたという感じです。院 長 私はどうして医者を目指したのか。僕たちが小さい頃、父は警察病院に勤めていたんです。夜中に連絡がきて、よく病院へ出かけて行ったので、大変な職業だとは思っていましたけど、家では母親が父親を褒めてました。立派な医者なんだと子供の頃に聞かされていたから僕も洗脳されて、医者を目指したのかもしれません。一度、父の勤務先の警察病院に行ったときに、父が薬剤師や放射線技師に慕われていたんですよ。内科部長の部屋があるのに、レントゲン技師さんの部屋に机を置いてもらってそこにいる。子供心に、そんな父のことをなんだかいいなあと思った記憶があります。理事長 僕にとって父は高みの人という感じだったかな。まあ、確かに母はよく父のことを持ち上げていましたね。100年目を迎える現在、病院の理事長と院長は兄弟で、創設者である右田興根昇の孫にあたります。父の徹が三男だったため、右田病院とはあまり関わりがないと思って育ってきたという二人。病院を引き継ぐことになった過程、兄弟で関わるということ、思い描く将来などについて語りあいました。対 談兄弟で迎える、右田病院の100周年理事長 右田 敦之院 長 右田 隆之

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