対談 |52右田病院へ入職する――右田病院へ入られたのは理事長が先でしたね。理事長 最初、松本宇事務長からオファーを受けたのですが、「今は会社の仕事を優先したい」と、ごめんなさいをしました。4年くらい経ってやりたかった仕事をツークールくらいやった頃、実家に帰ると、母が父に「病院行きを勧めるように」と言うわけです。そしたら父が「じゃあ、頼むかな」と。そんな言い方でした(笑)。父からの頼まれごとは初めてでしたから、よっぽどのことなんだなと。だから私は「わかった」と返事をしたんです。当時病院内で、労務問題が出て難儀しているということも知っていたので、父の役に立ちたいと思いました。院 長 兄が右田病院へ入ると聞いたときは驚きました。理事長 右田病院に入るという選択は、私のライフプランにはなかったですから。大学は農芸化学、会社での仕事が商品開発で畑違い。30歳前後に労働組合の委員長をやったとき、経営に興味をもった。中小企業診断士を取得すると使ってみたくなったのはホンネです。院 長 父は院長兼理事長ではありましたが、経営面には詳しくないですから。そこへ経営の勉強をした兄が来てくれたわけです。頼りにしていたと思います。ただ、このとき「兄が戻ったんだから俺も戻らないと怒られちゃうな」とは思いました(笑)。もちろん、父が右田病院に入った時点で、いずれ声がかかるだろうという気持ちはありました。だから大学の医局勤務当時は、右田病院が救急に力を入れてきた歴史があるので、意識して救急の多い病院に行くとか、当直のときはいろいろな方面の疾患を看ようとしていました。理事長 当時、弟は埼玉県立がんセンターにいて「もう少し食道がんについては学んでおきたいんだ」と言っていたので、「じゃあ先に行ってるわ」という感じでした。それから3年後です、副院長として入ったのは。院 長 父は口数が少ない人間なので、直接「戻ってこい」とは言いませんでしたが、自分のときも母を通して言われました。「お父さんは、あなたに右田に入って欲しいらしいわよ」って。母から「どうなのよ」と聞かれたので、「戻ってもいいよ」と答えると、母が中継して父に「戻ってもいいよって言ってるわよ」と伝えたという。理事長 やっぱり母が間に入ってる(笑)。まあ、息子二人が右田病院へ入ったことは、両親にとっては喜び半分、心配半分だったのではないですかね。母は一昨年亡くなりましたが、生前よく、僕の経営の思いだけで、弟をイバラの道に引き入れないでよね、と言ってました。心配だったのでしょう。ときには意見の食い違いも――臨床面と経営面と、お二人に託された仕事はそれぞれ異なり、病院の方向性などで意見が異なることもあると思います。院 長 法人の経営は役員や幹部による会議で話し合われますが、二人で話をするときは「こんな風にしたらどうか」という提案が兄から上がりますね。もちろん、考えが合わないときもあります。理事長 経営側としては現状から次の段階に行くために提案をします。そうすると、院長は「現場のスタッフのことを考えると簡単にイエスと言えないよ」という話になります。大体そういうパターン。院 長 提案を受けて現場的に「それは無理だ」って話をして、ガーッて言い合いになって、テーブルをバン!てやったこともあったね、昔(笑)。でも、口も聞かないなんてことは本当になくて。翌日には
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