右田病院100周年記念誌
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| 対談53悩んだ! 新病院への移転を決断――お二人が、病院経営で一番大変だったことは? 院 長 一番は新病院の移転です。あのときの意思決定は、死ぬ間際でも「大変だったな」と振り返ると思います。理事長 とにかく前の病院は建物が古すぎて不都合が多く、新病院建設に踏み切るしかなかったんです。院 長 建物が限界でした。雨漏りはするし、一番古い建物は床が沈んでいて、いつ穴が開くかという状態。冷暖房機械も壊れて。建て替えができなければ、病院はやめたほうがいいというくらいでした。場所探しも難航しました。理事長 僕は本町の土地にこだわったんです。初代が病院を創設した地だから離れたくないという思いが強くて。でも結局、今の土地を紹介され計画に踏み切った。なのになかなか進まない。東京都に提出する補助金申請の書類は通らないし、銀行は難しい顔をする。院 長 理事長は申請書を持って、都庁へ2年くらい通ったでしょ。理事長 毎週のように行っていましたよ。帰りの中央高速で夕日を見ながら「今日もまただめだったか」って。一方、銀行からの借り入れの話もなかなかまとまらなくて、生まれて初めて胃が痛いという経験をしました。院 長 最終的には色々な巡り合わせで、新病院オープンにこぎつけたけれど、新病院建設の決断は大きいものでした。医療の本質は変わらない――医療体制も時代の要請によって変化していくと思いますが、今後の展望を考えるといかがですか。院 長 地域包括ケア病棟、地域包括ケアシステムといった言葉は、「そういう方針でいきます」という国からの伝達です。でも、私は医療の本質は変わっていないと思っています。困った人を助けるということ。以前に比べて、病院を訪れる人が高齢化しているだけであって、病院として医療を提供することは変わってないと思っているんです。理事長 昔から右田病院は救急医療から急性期という医療領域をやってきたというのは紛れもない事実ですからね。「地域のホームホスピタル」、地域の人たちのかかりつけの病院でありたいという理念は変わりません。ただ、その時代に求められる役割を医療の提供側がより意識していく必要性が大事。院 長 うちのような中小病院は、地域での役割がますます高まると思っています。「右田さん」と呼ばれる、地域に根ざした病院でありたいですね。理事長 次の100年に向けて、まずは地域医療のハブ機能を持った『ハブ版地域包括ケア病院』となっていけるよう努力していきます。別の案も提案してくれたり、私の意見を尊重してくれるので、私の方も歩み寄ることもありますし。こういう言い方はちょっと恥ずかしい感じがしますけど、お互いに尊重しています。理事長 院長は常に現場で昼夜の別なく走り回っていますから。彼の意見は第一に聞いているつもりです。僕は現場に立っているわけではないので、現場の空気が分かっているかというとわかってないことが多い。ただ、だからこそビジネスライクに突き進むこともできるわけです。院 長 同じ職種ではないから、互いの意見をきちんと聞けるのかもしれないですね。わからないことを互いにわかるまで話し合う。それで一つの方向へ進むことができる。理事長 経営と臨床がお互い尊重しながらバランスを取っていくことは、病院経営の必須事項です。

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